就活でみんな苦しんでいる

今日は、ご利用者様と日々接する中で感じていることをとりとめなく書こうと思います。就活では誰もが苦しんでいるという話です。

ほとんどの人は「自己PR」も「ガクチカ」も「やりたいこと」もない

「みんな」と言っておきながらいきなり訂正ですが、ごく一部さほど苦しまないような人もいるにはいます。学生時代からサークルやアルバイト、インターンシップやボランティア活動、留学など、様々な経験を積み、多くの人と関わるのが得意で、自信に満ち溢れているような人です。そういう人があなたのそばにも稀にいるかもしれません。

しかし、こういう人は本当に僅かな例であり、多くの人は違います。自分自身を振り返って有意義だと思うような経験もさしてなく、明確な意思や計画の下で行動してきたわけではない、という人が圧倒的に多いのです。

先輩から「ガクチカのために何かやっておいた方が良い」というアドバイスを受けることもあるでしょうが、就活のガクチカのためという動機で、やりたくもないことをそうそうやれるものでもありません。そもそも就活のために学生生活があるわけではないのですから、できなくて当然です。

しかし、いざ就活を始めてみると、「ガクチカがない」、「自己PRができない」といった悩みを持つ人が多くなります。

はっきりと「やりたいこと」が定まっている人もさほど多くはなく、「やりたいこと」が定まっていないのですから、そのための行動というのも起こりません。そのまま就活の時期に突入し、無理やり希望業界などを選んでなし崩し的に活動を始めるというのは良くあることです。

「やりたいこと」も本心ではわからず、「自分の何をアピールできるのか」もわからない状態で就活を行うのは、それだけで大きなストレスです。

就活生の悩みの上位には、「内定が出ない」ということの他に、「自分をうまくアピールできない」、「やりたいことがわからない」といったものが並んでいるのも、こういう背景があるのです。

一生の仕事なんてすぐには見つからない

多くの人が、就活で一生が決まる、生涯携わる仕事が決まると考えています。もしそうだとしたら、20歳そこそこの段階で今後の仕事人生の全てについて決断をしなければならないことになります。

でも、そんなこと本当に可能でしょうか。いくら頑張っても社会のことのほんの一部しか知らず、もし主体的に色々調べたとしても本当のことを理解しているとは限りません。そもそも、なぜみんなが一律に同じ時期に人生の決断を迫られなければならないのでしょう。それは、日本の新卒一括採用というシステム、未発達な転職市場などが、それを強制しているということです。

私見ではこれらのルールは理不尽で合理性がないと考えていますが、現実にはこのルールが支配的である以上、そのルールに乗ることが「損が少ない」と考えるのは無理のないことです。ただ、いくら教育で若者たちをこのルールに適合するように育てようとしても、すべての人がこのルールに納得できることはなく、ましてや、このルールから見て「適切な」行動ができるわけではありません。むしろ、若い人たちが就活で苦しみを感じるのは、このルールとの衝突、矛盾を表しているのだといえるでしょう。

未だに上記のようなルールが支配的ではあるものの、人材市場は日々変化しています。必ずしもルールに沿って行動しなければ確実に「損をする」とは限らない方向への変化は見られます。

したがって、まず「やりたいことがわからないのはおかしい」と考えて自分を追い込むのはやめましょう。わからないことは普通のことです。それに「わかった」と思ったところで、未来のことはわかりません。「違った」と感じることは往々にしてあることです。

とはいえ、就活をしないわけにはいかない人がほとんどでしょうから、「やりたいことがわからない」という人は、「とりあえずやってみる」ことを探すつもりで応募先の選定を進めれば良いと思います。一生続けるとまで考える必要はありません。とりあえず数年の間やってみても良いな、と思うような仕事を探してみてください。

本当に「やりたいこと」を見つけられる人は幸運です。しかし、そういう人が皆若い頃にそれを見つけていたとは限りません。何かをやっていくうちに、色々な人にあううちに、楽しいことや苦しいことを体験するうちに、本当に「やりたいこと」を見つけられるということも多いのです。

理想の自己PRなんてない

学生時代に力を入れて取り組んだこと、いわゆる「ガクチカ」について悩んでいる人は多くいます。特に新型コロナの自粛生活の中で、のびのびとした学生生活を送れなかった人たちは悩んでいます。そうでなくても、サークルの部長をやったり、アルバイトで積極的に仕事をしたり、留学で新しい文化に触れたりといった、いわゆる「見栄えのする」ガクチカなどない、という人は実際には多いのです。

エントリーシートや面接で「ガクチカ」は自分をアピールするために説明が求められるものです。自分をPRするのは基本的に過去の経験ですから、何か「体験」の中から成長したこと、得たものを表現する必要があります。

もちろん、上記に挙げたようなサークル、アルバイト、留学などの経験でガクチカ、自己PRをするのは一般的ではあります。しかし、必ずこのような事例でないといけないわけではありません。世の中には、積極的に人に関わり、自らが先頭に立って行動するようなタイプばかりではありません。インドア中心で過ごし、あまり多くの人と関わらず、自分の内面と向き合う時間が長い人もいます。こういう人は、モデルになるような「ガクチカ」や「自己PR」を話すことはできないでしょう。しかし、「理想型」のガクチカや自己PRでなければ評価されないわけではありません。むしろ「理想型」のガクチカや自己PRは世の中に溢れていて、多くの人がそれに「寄せた」ものを作成して就活に臨みますので、ある意味「陳腐化」していると言えなくもないのです。

多くの学生は「課外活動」でガクチカを表現しようとしますが、ガクチカは必ずしも課外活動である必要はありません。学業そのものがガクチカになり得る場合もあるはずです。そうは言っても「専攻は応募先の業種・職種と関連性がほとんどない」という場合も多いでしょう。それでも学業はガクチカになりえます。

例えば、あなたが文学部で、在学中は小説の研究や、自ら創作活動に励んでいたとして、それは就活で何らアピールできないのでしょうか。自ら創作をするときには、「自分が表現したいこと」があり、「受け手がそれをどう感じるのか」を予測し、「最も効果的な表現を選び」、「全体の構成を整えて一つの作品に仕上げる」というプロセスがあると思います。このプロセスの1つ1つに真剣に取り組んだのであれば、それをきちんと言語化すれば立派なガクチカになります。応募先が「創作」とは直接関係のないものであっても、コンセプトを確定し、適切な表現方法を選び、全体をプロデュースした経験は、職務でも活かせる能力に繋がるでしょう。この例に限らず、「何かをしていた」のであれば、その経験をしっかりと見つめて理解し直せば、ガクチカや自己PRに繋がる要素が必ず見つかるはずです。

あるいは、いわゆる「陰キャ」とか「無キャ」という言葉に当てはまると自覚している人もいるかもしれません。あまり良い言葉だとは思えませんが、それは一旦置いて、「人との関りが乏しい」、「特に何もしていない」と思っている人もいるかもしれません。しかし、本当に「何もせずに過ごす」ことは難しいことです。たとえば熱心にネットで情報をチェックしていたこと、その間に真剣に考えていたこと、自分と向き合っていたことなどの中に、あなたを表現するものが見つかる可能性は大いにあります。少しアレンジは必要かもしれませんが、何でも良いのでご自身がしていたことをスタート地点にして考えてみることが大切です。

「理想の自己PR」や「理想のガクチカ」を追い求めても無理があります。それに前述のように「理想型」は陳腐化している面もあります。そもそも、「自分ではない何か」になろうと装って活動しても、ほとんどの場合うまくいきません。

就活は他人が決めたルールで評価されるだけ

就活がうまくいかないと人格そのものを否定されたような気持ちになることはよくあると思います。しかし、多くの場合、大したことのない人たちが勝手に決めたルールに従って、他人を「評価」したつもりになっているだけです。そういう人たちが決めたルールで行われるゲームに参加せざるを得ないのであれば、そのルールを飲み込んで活動するしかありませんが、そこに自分の人格の全てをかける必要はありません。人間の中には様々な価値があり、それは就活などでは測れません。

もちろん、「就活モード」で「自分を変えて臨む」という方法もあるでしょうし、私も面接指導の際にはそのようなモードになることをアドバイスすることもあります。しかし、「なりきれない」人も多いでしょう。そんな人は、周囲に惑わされず、「自分は自分の歩き方をする」と割り切って、自分なりの選択、自分なりのアピール方法を考えましょう。必ずうまくやる方法はあります。

就活で人生のすべてが決まるわけではないのですから、深刻に考え過ぎず、切り抜ける方法を考えましょう。