就活の自己分析で自己肯定感が削られる人へ

就活や転職のES(エントリーシート)作成や面接の回答などを考えるにあたって、自己分析は欠かせません。私は普段「自己分析して自分の何を強みとしてアピールするのかを明確にすべし」と指導させて頂いているのですが、今回は自己分析が苦手な人に向けた記事を書こうと思います。

メンタル面にかかわる部分が多いので、参考程度に読んで頂ければ幸いです。

就活や転職活動で必要な自己分析が苦痛な人もいる

自己分析は過去の自分の経験を棚卸ししてみて、長所や短所などの特徴をつかみ、それらが具体的に表れたエピソードを確認していくものです。また、過去の経験において何を求めていたのか、どんな希望を抱いていたのかなどを再確認することで、仕事に何を求めるのか、ひいては志望動機にも繋がります。

しかし、過去の経験を思い出すことで、かえって自己肯定感が削られてしまうという人も中にはいると思います。うまくいかなかったこと、途中で投げ出したこと、やりたいことがやれなかったこと、他者からひどい評価や扱いを受けたことなどを思い出すことで、自分の強みを再確認するどころか、悪いことばかりが目についてしまうという場合もあるのではないでしょうか。

こういう人にとっては、自己分析は苦痛でしかなく、就活や転職活動そのものも、やりたくないことなのかもしれませんね。

キラキラした就活生がデフォルトな現状

集団面接を受けると、他の就活生が目をキラキラさせて前のめりになって自分の強みをガンガンアピールしている姿を目にすることも少なくないでしょう。就活生はやる気をアピールし、自己PRをしっかりして、「私を採って!」と強く自分を押し出すものだというイメージは、現在のデフォルトのようにも見えます。

採用担当をしていたことのある私からすれば、「確かにキラキラがデフォルトかもしれないな」とは思います。「目を輝かせ、大きくうなずき、すごそうな実績を話す」ような就活生は少なくありません。人事は「やる気」や「熱意」も見ていますし、評価できるポイントを探しているのですから、就活生のこのような姿勢はけっして間違いではありません。

しかし、往々にして「ほんとに?」という想いで見ていることもあります。会社に限らず、学校のクラスや部活動、サークルやバイトなどで何かの組織に属した経験があればわかりますが、メンバー全員がスタープレイヤーであることはまずありません。目立つ人はほんの一部であって、その他の人達は目立たず、取り立てた特徴のない平凡な人たちです。常に明るいばかりでもなく、ミスも起こし、時にはネガティブな態度も見せます。そういう平凡な人で組織は構成されています。もちろん優秀な人のいる率が高い組織もあります。しかし、そんな組織であっても平凡な人はいます。ですから、就活生がみんなキラキラしているように見えるのはある意味不自然なことです。

「やる気」を見せることや「自分をアピールする」ことが求められている場だからこそ、多くの就活生がそれに合わせた行動をしているだけであって、リアルな姿は違うはずだと人事も考えていると思います。もちろん、「採用されたければゲームのルールに合わせられる人が勝つ」という考え方は間違いではありません。身も蓋もない言い方をすればそれが世の中です。しかし、それが世の中の全てというわけでもありません。

例えば、私が採用担当をしていた頃は、キラキラ就活生の他に、「誠実さ」を特に評価できる人を何人か採用していました。当時の組織にはそういう人を増やすことが非常に大切だと考えていたからです。一般にも、スタープレイヤーばかりを採用したいとは考えておらず、平凡だが堅実に続けてくれそうな人を多く採用したいと考えている場合は多々あります。

自己分析がうまくいかず、面接に行って他の就活生の様子に余計自己肯定感を削られる、という人は、キラキラした就活生だけが社会から必要とされているのかどうか、冷静に考えてみるのも良いでしょう。

自己肯定感を削られる自己分析との向き合い方

過去の経験を紐解いても、「成果が上がった」というものがなく、「失敗した」、「途中で投げ出した」、「頑張り切れなかった」といったネガティブなものしか出てこない人もいるでしょう。場合によっては「やりたかったがチャレンジもしなかった」ということもあるかもしれません。「人間関係でイヤな思いをして人との関係を避けてきた」ような人もいるかもしれませんね。

こういう人にとって「自己分析」なる作業は苦行でしかないかもしれません。イヤなことを無理やり思い出して自己肯定感を削り、下がった自己評価で面接に臨むということになれば、何のために自己分析をしているのかわかりません。就活・転職活動自体がイヤになるのも無理はありません。

そこで、こういう人は自己分析とどう向き合えば良いのか、答えは1つではありませんしすべてが正解ではありませんが、思いつく方法をいくつか挙げてみます。

なぜうまくいかなかったのかを徹底的に考える

たとえば、「頑張ったのに結果が出なかった」という経験に対して、「なぜ結果が出なかったのか」を徹底的に考えてみます。

それは、「頑張り方を間違った」のかもしれませんし、「元々の能力が低すぎて目標に到底届かなかった」のかもしれません。「時間が足りなかった」のかもしれませんし、「他の事情に邪魔された」のかもしれません。客観的に考えればいくつかの要因が思い当たると思います。

この時に大切なことは、「自分に変えられるはず」のことを探すということです。たとえば「金持ちの家に生まれていればできた」ということは自分では変えられません。また「もっと先天的な運動能力が高ければできた」ということも自分では変更不可能です。こういったことが要因になっていることはよくあることですが、ここにフォーカスしていては次に繋がる話は出てきません。「努力する方向・計画の立て方が間違っていた」とか、「効率の悪い動き方をしてしまった」とか、自分の責任に帰することができるような原因を探します。

誰もが成果にはこだわりますが、大切なことはプロセスから学ぶことです。結果的に成果が出なかったとしても、プロセスから反省点を見つけることができれば、次に活かすこともできます。就活の時点で、反省を活かして成果を出した経験がなかったとしても、「次はこういう頑張り方をして成果を出したい」という志向を語ることができれば、それはそれで自分をアピールすることに繋がります。「強み」とまでは言えないかもしれませんが、ネガティブな経験そのものが「糧」であると伝えることは可能です。

一方、「頑張れなかった」とか「チャレンジもしなかった」という経験ばかりという人もいるでしょう。その場合は、「なぜ頑張る気にならなかったのか」、「なぜチャレンジする気にならなかったのか」について真剣に考えてみましょう。「本当にやりたいことではなかった」場合もあるでしょうし、「踏み出す勇気がなかった」場合もあるでしょう。「本当にやりたいことではなかった」場合は、「なぜやりたくなかったのか」、「本当は何をやりたかったのか」を考えてみましょう。「勇気がなかった」のだとすれば、「自分の何がブレーキをかけていたのか」を考えてみます。その上で、「自分は何を求めているのか」とか、「自分の何を変えれば良いのか」を探し出していきます。結果も出さず、努力すらしていないのであれば、それをアピールすることはできませんが、自分自身を客観的に評価して「変えようとする」姿勢を主張することはできるのではないかと思います。

他者の目を通して自分を見る

自己分析は自己を客観的な対象にする行為ですから、本来は非常に難しいものです。自己を正しく対象化することができる人ばかりであれば、世の中はもっと良くなっているでしょうね。そもそも自己分析をして「俺の良いところはここだ!」とか「ここは誰にも負けないぞ!」という事が次々出てくるなんてある意味「キモい」と思います。普段、「強みをしっかりとアピールしましょう」と指導している立場では言いにくいことではありますが…。

したがって、自己分析をしてもちっとも自分の「強み」が見つからないというのは、異常なことではありません。むしろ自然なことだとも言えます。また、自己評価が実はズレている、なんてことも起こりえます。

ですから、自己分析を1人で行うのは大変難しいことなのです。そこで、私としては他人から評価を受ける機会を設けることが良いだろうと思います。

ただ、近しい人に対して、過去の経験などを明かし、その頃の自分の想いなども伝えることは、難しいかもしれませんね。こういう場合は、「味方になってくれる赤の他人」に頼むのが良いでしょう。たとえば学生さんであれば就職課の人、転職者であればエージェント、あるいは私のような指導をしている人間に相談することです。できるだけ詳しく自分のやってきたことやそのプロセス、その時の想いなどを伝えてみると、その中から思わぬ「評価に値する」部分を見つけてもらえるものです。

自分自身の評価を定めて信じる

就活や転職活動では、自分の人材としての「強み」を「根拠」をもって主張することが求められています。「根拠」とされるのは概ね過去の経験・エピソードです。具体的な経験やエピソードがあれば、完全に作り話でない限り「ある程度客観的な根拠がある」と思ってもらえる可能性が高いということですね。

しかしそれは、「客観的な根拠があるようにみえる」ということだけであって「真に客観的なもの」とまではいえません。所詮は自己申告であり、所詮は自己評価です。言ってしまえば、ここでいう「根拠」などいい加減なものなのです。

そうであれば、自分自身の「強み」は、「自分がそう思い込んでいるだけのもの」とも言えます。

そう、自分で自分の強みは「これだ」と決めてしまえば良いのです。たとえば、「粘り強くコツコツやるタイプ」なのか、「他の人とは違うひらめきがあるタイプ」なのか、「冷静で客観的に物事を分析するタイプ」なのか、「情熱的でゴールに向かって突き進むタイプ」なのか、「深く物事を追求して妥協しないタイプ」なのか、「広くアンテナをはって世情に敏感に反応するタイプ」なのかなど、自分がどんな人間なのかを考えます。場合によっては「そういう自分でありたい」という希望をそのまま「自分はこうだ」と言い換えても構わないと思います。その根拠となる過去はネガティブなものでも良いのです。ネガティブな経験であっても、自分自身を知る糧にはなっているはずです。

やっつけてしまう、という考え方もアリ

自己分析で自己肯定感が削られてしまい悪循環に陥ってしまうという人の対処法をいくつか挙げていきましたが、最後は最も安易な解決法で締めようと思います。

それは、ES選考通過、面接通過という目的だけに完全にフォーカスして「しのぎ切る」ことを考えるということです。

どんなに「良い」経験がなくても、ESをそれらしく完成させることはできますし、大したエピソードがなくても面接を乗り切ることはできます。どこに出しても評価されるような「強い」エピソードを持っている人も稀にいますが、それは本当にごく一部の人です。そこまでの「強さ」がなくても、面接を通過することは可能です。もちろん、応募先の難易度にも左右されますが、就活・転職活動という「ゲーム」のルールを知って、それに合わせて攻略テクニックを駆使すると割り切ることも可能です(そう考えるなら、信頼できる指導者にアドバイスを求めることです)。

自己分析で自己肯定感を削り、メンタルを弱らせてしまうぐらいなら、こういった方法を採ることも考えてみるべきでしょう。もちろん、真剣に自己分析を行うことは、うまくやれば今後の人生に良い影響を与えることも多いと思います。しかし、「苦行」が「苦行」にしか感じられないのであれば、無理しすぎることは禁物です。

うまく体をかわして泳ぎ切るという考え方も時には必要なのではないかと思います。

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